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1月5日 №280 プリント メール
1月5日 №280

「コラジン…ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば…悔い改めた…。」

ルカ福音書10章13節

 主イエスの活動は、ガリラヤ湖の北部コラジンやベトサイダが多く、民はイエスの姿と行動を他のユダヤ人よりも多く見ました。

 「すべて多く与えられた者は。多く求められ、多く任された者は。さらに多く要求される」(ルカ12章48節)のは当然です。主の教え、奇跡や癒しを見、体験した人は、それに応答する責任があります。英語の「レスポンス(応答)」が「レスポンスビリティー(責任)」に変化することに納得です。「聞き、見、知った」のに応えないことは、知らずに判断するよりも責任が問われます。律法を知った者は律法により裁かれ、神を知らない人は良心によって裁かれる(ロマ2章9~16節参照)もこの一環です。それなら知らない方が良いのか。否、信仰はキリストの言葉を聞くことから始まります(ロマ10章17節参照)。

 しかし、友よ。裁きの話より、受けた恵みにもっと目を止めるべきです。御言葉を聞いたこと、神を信じたこと、今も信じていることなどの恵みに目を止めると、神の愛が迫ってきます。その神の愛が、「すべてを完成させるきずな」(コロ3章14節)となります。

==== サレプタ・ミニストリー =====
清野 隆二 Ryuji Seino
 
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