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2010.09.02 ガラテヤの信徒への手紙 3:21-3:29 【奴隷ではなく神の子である】 3:21 それでは、律法は神の約束に反するものなのでしょうか。決してそ うではない。万一、人を生かすことができる律法が与えられたとするな ら、確かに人は律法によって義とされたでしょう。 3:22 しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。そ れは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に 与えられるようになるためでした。 3:23 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰 が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。 3:24 こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となっ たのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。 3:25 しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育 係の下にはいません。 3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子 なのです。 3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着て いるからです。 3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分 の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエス において一つだからです。 3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、 アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。 +++ パウロの持っている律法についての考えが表明されています。聖書は、 神が律法によって私たちを罪の下に閉じ込め、自分で自分を救うことが できないことを悟らせ、律法が私たちをキリストのもとへ導く養育係と して用いられたことを教えています。 しかし、その養育係は、私たちがキリストを信頼し、キリストと結び付 いた時には、役割が終わります。私たちは律法という養育係の下にでは なく、キリストご自身と結ばれ、キリストに覆われて生きることになる からです。キリストが原動力になり、キリストが判断基準となり、キリ ストが私たちの「主」となるのです。「キリストを着る」とパウロは語 りました。 それは従って、ユダヤ人の特権事項ではなく、すべての人に提供されて いる神の恵みなのだというわけです。そして、かつては律法の奴隷のよ うな存在だった私たちですが、キリストのお陰で「神の子ども」という 新しい立場が与えられるのです。 祝福がありますように。 |
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