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2008.12.1 ルカによる福音書 10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言っ た。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んで いるか」と言われると、 10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽 くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛し なさい』とあります。」 10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれ ば命が得られる。」 10:29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とは だれですか」と言った。 *** 「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができますか?」という質問の中には、 自信がみなぎっています。というのは、この律法の専門家はすでに自分の頭 の中に答えを持っているのです。彼は、それを「知っている」ことで永遠の いのちへの道を生きているのだと考えています。 彼は言います。「「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽く して、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しな さい』とあります。」 イエス様は、その答えを評価しながら、彼に告げます。「正しい答えだ。そ れを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 この段階で専門家は「自分は答えを知っていますが、どう頑張ってもそれを 生きている間ずっと実行し続けることなどできません」と言えればよかった のかもしれません。でも、彼の「知っている」「教えてきた」というプライ ドが許しませんでした。彼は自分を正当化しようとして「では、わたしの隣 人とは誰ですか」とイエス様に問い返します。これが「善きサマリア人」と いうお話の前置きであり、前提です。律法の専門家は、隣人とは自分の仲間 のことだと考えていたのかもしれません。もしそうであれば、彼は完璧に永 遠のいのちへの道を歩いているという自信があったのかもしれません。しか し、イエス様の答えは彼の考えを根底から覆すものでした。 私たちは律法を守り抜いて永遠のいのちを得るという道では、誰も永遠のい のちに到達することができません。律法は良いものですが、それは私たちに 自分の足りなさ、救い主の必要性を教える手がかりとなるものなのです。私 たちが永遠のいのちを受け取ることができるとすれば、それは私たちが何か をやったからではなく、神さまのお蔭であり、神様からの恵みがあるからこ そなのです。実はその方が私たちにはよかったのです。悔い改めて信じれば 良いからです。 祝福がありますように。関根一夫 |
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