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2008.11.30 MACFにようこそ!心から歓迎します。 「幸いな生き方」 ルカによる福音書 6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸 いである、/神の国はあなたがたのものである。 6:21 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣い ている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。 6:22 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、 汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。 6:23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先 祖も、預言者たちに同じことをしたのである。 6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰 めを受けている。 6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢え るようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣 くようになる。 6:26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先 祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」 ******* 1)貧しい人と富んでいる人 イエス様の時代、今と比べるとずいぶん貧富の差が激しかったようです。9 0%の人たちは極度の貧しさの中に生きていたといわれています。 ですからイエス様が「貧しい人々は幸いである」という言葉を語ったとき、 10人のうち9人は、自分たちのことを言ってくれていると感じたはずです。 そしておそらくその時代には富裕層に対する不満も大きく、彼らに対する厳 しい言葉は大いに支持されたかもしれません。 しかし、恵みを語るイエス様の心には、ただ富裕層への糾弾だけがあったと は考えられません。 私たちは自分を貧しい人たちの立場に置いて金持ちは「悪人だ」などと糾弾 することはできません。貧しい人たちが全員善人で、富んでいる人たちが全 員悪人などということは言えないからです。 したがって、マタイによる福音書にあるように「心の貧しい人」という意味 を含ませて語ることがどうしても必要になってきます。 今の私たちに、これらのみ言葉がどういう意味を持っているのか、検証して いきたいと思います。 イエス様はこの説教の中で、貧しい人と富んでいる人を比較しています。 6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸 いである、/神の国はあなたがたのものである。 6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰 めを受けている。 この言葉は、単純に「貧しいことは良いことです」という意味ではありませ ん。また、富んでしまったら不幸になるという意味でもありません。 人の幸不幸は物を持っているかいないかだけでは決めることができません。 持っていて幸福な人もいれば、持っていなくて幸福を感じている人がいます。 持っていても不幸だと思っている人があるかと思えば、持っていないからこ そ不幸だと感じている人もいます。豊かな人でも貧しい人でも「優しい人」 はいますし、逆に「性格の悪い人」も存在します。 こう考えることができないでしょうか。 「貧しくて何も持っていないからこそ、今後いろいろなもので満たされる可 能性があり、コップが今空だからこそいっぱいに満たされる日が来るはずだ」 と信じられる人、「何も持って無いけれどそれでも他者の祝福を考え、与え るものが何かないかと思案しながら生きられる人」は幸せな人なのです。 また、「富んでいることを自分の手柄として誇り、いっぱいになっているコ ップから富が溢れ出るのを防ごうと躍起になって、守ることばかり考え、他 者の幸せなど眼中になく、与えることを知らない人」ならその人は不幸だと。 ◆飢えている人と満腹している人 6:21 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。 6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢え るようになる。 当時、満腹していた人たちは、思い通りに搾取することが出来たからこそ、 満腹できたといえるのかもしれません。それは、裏を返せば、飢えを経験し ている貧しい人たちが、その貧しさの中にいるにもかかわらず少数の富裕層 を養ったことになります。飢えているのに「与えてきた人」がいるのです。 その精神は大切です。受け取った人たちが、受け取ることばかり躍起になっ ていたら、その人には幸福はありません。 何かを人と分かち合う心が重要なのです。 飢えを知っている人と飢えを知らない人では、当然、知らない人の方が幸せ だと思います。しかし、飢えを知っているから物を大事にするとか、そうい う悩みのある人にやさしく出来るとかいう心が広がるのも事実かもしれませ ん。 ◆泣いている人と笑っている人 今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。今笑っ ている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。 泣くことよりも笑うことのほうがうれしいはずです。様々な事情で今、笑う ことが出来ないとしても、いつかきっと、笑える日が来ると信じることがで きたら、今を耐えることができます。今の苦しみは後に笑うことができるた めだと考えることができると良いですね。 2)誠実 私たちはおそらくイエス様の時代の中流層よりもはるかに富んでおり、便利 な生活をしています。しかし、私たちの幸福は、必ずしも品物の豊かさによ ってだけではもたらされないことを私たちは知っています。 金銭的に富んでいても、貧しくても「自分の中にある根源的な貧しさ」を知 る人は絶望することがありません。いわば幸せな人です。根源的な貧しさと は、「自分は神と人によって支えられなければ生きることができない」とい う自覚です。 金銭的に貧しい場合「闘争意欲」を燃やすことができたら、勇ましく生きる ことができます。いわば「ハングリー精神」です。しかしイエス様は、貧し い人に闘争意欲を持って生きなさいとは勧めていません。 むしろ「神の国はあなたがたのものだ」と言われました。つまり「神様は、 あなたの貧しさを知っておられ、きっと必要を満たし、きっと一緒に寄り添 って生きてくださる、神様が支配してくださっているのだ」と教えたのです。 それを信じて耐え、それを信じて前向きに生きるのです。 人生いろいろあります。飢える事もあるし、満腹することもあります。貧し くなることもあるし、豊かさを味わうこともあります。何がどうなるにして も、「神の国、神の支配の中に置かれて生きていることを知り」ながら、辛 さも嬉しさも経験し、コップを神様の恵みで満たしてもらう用意をしながら 生きることが大事なのです。 人生というコップを自分のためだけに、がんばり、敵愾心、努力、富、だけ で満たそうとしても、虚しさが残ります。神の恵みで満たしてもらうこと、 愛することを学ぶこと、苦境の中でも礼拝の心で生きること、そこにイエス 様の「人に寄り添うメッセージ」があるのです。 人生の様々な経験には無駄なことなど何もありません。どんな経験をしてき たとしても、自分のためにも他者のためにも有益な資源、また宝物になる可 能性を持っています。 あなたの人生、あなたの経験がどんなものであったとしても、今生かされて いることを感謝し、富んでいても貧しくても、神様の愛によって心が満たさ れることを願ってください。「ありがとう」「感謝します」という言葉が出 せる人になれたら良いですね。 明るく挨拶のできる人になれたら良いですね。お金持ちでも、そうでなくて も、ありがとうと言える心を持ちたいものです。今、生かされていることへ の感謝を常に持ちたいものだと思います。誠実にそのことを覚えていられた らと思うのです。 パウロが面白いことを言っています。 「4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置か れた境遇に満足することを習い覚えたのです。 4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していて も、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる 場合にも対処する秘訣を授かっています。 4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」 (フィリピ4章11節~13節) 神様に見捨てられることがない、神様には希望があり、私のコップは常に神 様によって満たされる必要がある、という自覚、そのことに正直になること、 それが今の私たちに必要な案件なのです。 過去がどうあれ、今がどうあれ、神と人への「ありがとう」「感謝します」 の心を持てたらなぁと思います。 祝福がありますように。関根一夫 |
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