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2008.9.6 ルカの福音書 4:16~22 プリント メール

2008.9.6

ルカによる福音書

4:16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に

入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。

4:17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある

個所が目に留まった。

4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるため

に、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、

/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧

迫されている人を自由にし、

4:19 主の恵みの年を告げるためである。」

4:20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべて

の人の目がイエスに注がれていた。

4:21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたと

き、実現した」と話し始められた。

4:22 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「こ

の人はヨセフの子ではないか。」

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イエス様は御自分の使命をしっかりと理解しておられました。会堂で読まれ

たイザヤ書の言葉をまさに御自分の使命として確信している様子が書かれて

います。その働きの対象人口は、「貧しい人」「捕らわれている人」「目の

見えない人」「圧迫されている人」であり、その働きの内容は解放と救いで

す。つまりイエス様を自分のための救い主としてより深く自覚できる人たち

というのは、自分は解放される必要があると知っている人たちなのです。自

分は豊かで、自由で、何でもわきまえており、居場所を持っていて、解放な

ど必要ではないと考えている人にとってはイエス様の言葉も行いもあまり魅

力的には響かないのです。

しかし、冷静に考えれば、神様との関わりについては、誰もが修復を必要と

しているはずなので、私にはイエス様は全く不要ですと言える人などは存在

しないはずなのですが。

自らの弱さを認めること、救いの必要があることを知ること、私のためにこ

そキリストが来てくださったことを受け入れ、礼拝すること、祝福のすべて

がそこから始まるような気がします。強がりは危険です。

祝福がありますように。 関根一夫

   
 
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